元教師の秘密のぼやきブログ

元教師がぼやく、教育現場の本音。
最近の学校に不満があるママさんパパさん。
学校教育にはてなを抱く方

元教師でコピーライターのnoworriesが教育現場をぶったぎり

受験に失敗した子に言ってはいけない

頑張ったんだからいいじゃない。

また頑張ろう


絶対に言ってはいけない一言


本当にそう思ってる?

子どもは馬鹿じゃないんだよね。

頑張ったからいいなんて思う訳ないじゃん。


偏差値で一喜一憂していた、あなた方のご機嫌をとるために

我慢に我慢を重ねた12歳にこんなことを言ってはいけない。


偽善者ぶってんじゃないよ。というのがおち。


じゃあさ、どうしたらいいんだろうね。


その答えがなくて受験なんてさせちゃだめよ。


私は全部の学校に受かったけれど、親は2月1日校のランクを下げた。

私がプレッシャーに弱くて、50%の学校じゃ受かんないだろうと踏んだから。

言わなくても分かってましたが、すげー傷ついた。

信頼されてないなって。

はっきりいって、全然合格が嬉しくなかったわけ。


そんなもんよ子どもって。



受験が人生じゃないんだよね。

落ちたとこからどうしようか。

どん底かな、私たち家族。

でもさ、いつかこれ笑える日がくるよ。

大丈夫。

皆が笑ったら笑い返してやろうぜ。

高校どうしよっか。

悩むのまだ早いかな

思いっきりゲームして、夜更かしして、

そうだ

明日は海行って馬鹿野郎!って叫ぼう

お前を落とす学校が間違ってるよ。

行かなくてラッキーだぜ。


大丈夫。高校でも失敗したら

アメリカに留学しよう。

そのほうがおもしろい人生になるかもよ。


そんなこと言える親がいたら

子どもは救われるんじゃない!?

自己肯定感ってなんなんだ?

自己肯定感ってよく聞きますが。

なんですかね。


いろんな定義があるんだけど

私はこう思います。


どっかで自分はなんとかなる、なんとかやれるぞっていうどこからか湧いてくる自信。


これって愛されたことがないと出せないんですよね。

でもさ、世の中の大体の人、フェイクの愛情は受けているわけです。

いい子だったら好きとか、私にいいことしてくれたら愛してるとか、

俺に都合いいからこの女愛してるとかさ。


まあそんなの世の中はギブ&テイクですからいいんですが。

でもさ、唯一、そんなんじゃないのが親子の愛かなと私は思います。

それを子どもの頃受けてきて、愛を実感できていると、子どもは自己肯定感を醸成できるんですよね。


で、ちょっと受験の話に戻ると。

テストでいい成績だと褒めてもらえる

志望校に入ったら認めてもらえると実はこれとは反対方向にいきがち。

だから受験って危険なんだよね。


特に失敗したとき、どういう風に接するかで子どもの人生変わるよ。

間違えてもいってはいけないこと、そして取ってはいけない対応はまた明日。

結局、無償の愛を注いでくれる子ども

さて、受験話。


頑張るよとか、私楽しいよとか。

その子どもの言葉。どうか丸まんま信じないで

少し疑ってあげてほしい。


これは私もそうだったし、教師として子どもと接してても感じたこと。


親に喜んでほしいの。


だってさ、中学校受験のきっかけつくるのって親なんですよね。基本。

子どもが「私は絶対受験する!!」なんてあんまり言い出さない訳で。


そうしたら、親の期待なんて分かるんですよね。12歳ですし。

頑張れば喜ぶだろう

いい成績とったら喜ぶだろう

親の喜ぶ顔が見たいんです。子どもって。


そうやって、本当はやだなとか、納得できない自分の気持ちを置いといて

親の気持ちを優先している間に、

本当の自分が分からなくなってしまうこともあるんです。


だからさ、結果がよければ、うまくいくこともあるけどさ。

うまくいかない時に、親がどう子どもと向き合うかって大事なんだよね。


じゃないと、

いい子じゃないと、意味がない

いい子じゃないと、愛されない

いい子じゃないと、生きてる意味がない


ね。自己肯定感崩すのって簡単なのです。


苦しいね親って。

でもね、子どもって一途なの。